光明寺の歴史をお話いたします。

高野山真言宗 光明寺の柿の木

樹齢約270年の柿の木

始まりは、1430年。

この寺は、いまからおよそ五百年前の 永享二年(西暦1430年)、 高野山からこられた慶秀というお坊さんが、 ここに建てたのが始まりです。

宝徳二年(西暦1450年)、 いったん衰えたのが再び盛んになり、 天明年間(西暦1782年)本堂を、 嘉永三年(西暦1850年)には庫裡(住職や家族の住む所)を 再建しました。

当時は、鎮守(その地方をしずめまもる神)諏訪明神と 山王社の別当(別に他の職に当たるもの)をかねていたが、 その後衰退して久しい間、荒廃していましたが、 現在に至って大いに盛んになり、 近年村内の曹洞宗正福寺・万願寺を合併して 更に寺運が開けました。

高野山真言宗 光明寺のイチョウの木

樹齢約170年のイチョウの木

積み重ねた月日を物語る、仏像と木々。

本尊は、阿弥陀如来の立像、高さ二尺(60センチ)です。 外に合併時の仏像など数多く安置しています。 境内には、いちょうの木(樹齢約170年)と、 柿の木(樹齢約270年)が、植えられています。 また、この両木とも、現在横浜市の銘木古木に 指定(1974年に)されています。

なお、当時には、金沢礼所第二十五番霊場 (神仏の霊験があらたかな場所) 新四国八十八ヶ所の東国霊場六十八番の礼所として、 聖観世音菩薩と阿弥陀如来の仏さまをおまつりしてあります。 また、去る昭和五十年九月宗祖弘法大師入底 1150年御遠忌記念として、 修行大使が、建立されております。

(遍照の光明仰ぐ日野の寺夏あきらかに大師像たつ・・・ 西光寺住職藤田義海僧正詠) 平成七年十月新客殿、本堂内、外陣、絵天井、 客殿玄関等の新、改、増築を完成。